■萩原賢和六枚双屏風
史跡・文化財
 片品出身の名書家として知られる、萩原賢和先生の筆による書を2双の屏風として仕上げられている。賢和先生は、宝暦9年(1759)戸倉、萩原伝左衛門の長男として生まれ、名を倉右衛門と呼ばれた。萩原家は代々私塾の家であったので、幼少の頃より学問の手ほどきを受け、14歳の時、大間々の書家長沢宇勝の門に入り、五年の修行の後、師のすすめで、江戸深川の三井真和について書を修め、遂に師の名の一字を授けられ賢和となのった。萩原家は代々藤原の出であったので、諱を藤賢和としたといわれる。
 その後師の許しを受け諸国を巡り各地にその名筆の跡を残したという。やがて郷里に帰り、利根23ヶ所の取締りに任ぜられ、又近隣の人々の指導にあたったという。先生は書体の内特に篆書に優れ、村内はもとより各地にその筆跡を残している。嘉永元年(1848)88歳で世を去り、墨照院賢翁淳和居士と諡されている。賢和先生の一子伝右衛門は号を随斎、その孫程一郎は号を墨譲といい、2代3代共賢和を名乗った、三代続いた名筆家というのは珍しいことである。

◆所在地:片品村鎌田
◆管理者:片品村
◆指定年月日:昭和62年10月 1日 片品村重要文化財